教会本部でも

 大正ふしん(北礼拝場)当時、神道式のお社があって、神床にかんろだいのスペースが床にあいていて、そして、二段だけ木で作ったかんろだいが見えて、それを見下ろすように床の上に座ってかぐらつとめが行われていました。
 昭和9年、南礼拝場が造られた時、それまであった皇祖天照大神の象徴である八咫鏡の模造品をおさめたお社を廃止して、かんろだいが据えられました。
 そして、かんろだいを囲んでお面を付けて、おつとめが行なわれました。
 しかし、時代の制約を受けて「あしきをはらうて たすけたまへ 天理王命」という天皇制軍国主義を教育する神道の言葉を、教祖の教のように本来の「かんろだいのかぐらつとめ」の前に麗々しくつけざるを得なかった。
 その後、昭和12年の立教100年祭を目指し、各地の教会で、かぐらつとめが立ちつとめとして練習が行われた。
 特に東京ではさかんであった。
 私の祖母である大木シマ(天理教練馬分教会初代会長大木政次郎夫人)が、「私も練習した」と言っていました。
 また、叔母の大木千代子(初代会長の次女・現存)も「私も練習したのよ」と言っていました。




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