〇十一下り目


 ひのきしん、陽気づくめの世界を作ること を普請に たとえて、陽気づくめ世界建設の ための基礎固め、心の 正しよう を教えてくださっています。

一ッ ひのもとしょやしきの
    かみのやかたのぢばさだめ


 世界を陽気づくめ世界に建て替え る出発点 である、庄屋敷の神のやかた の基礎固めを、教え るとおっ しゃっています。

 「神のやかた」というように、陽 気づくめ 世界を一つの建物に 喩えたのです。

 「ふしん」というのは、陽 気づくめ 世界の建設を表 現したのです。

 ぢば定めというのは基礎固めということです。

 神のやかたという時の手振り ですが、 ふつうは屋形というと屋形 造りといわれる ように三 角の形を作るのですが、このみ かぐらう たでは平らになっています。
この手振りはかんろだいを示しているのです。

二ッ ふうふそろうてひのきしん
    これがだいいちものだねや


 夫婦揃うというのは、当時は戸籍 制度があ りませんから、婚姻届けをした ら夫婦になるという ようなも のではありませんでした。

 形式にとらわれているのではなく、 陰陽が補 い合いたすけ合って、調和 の取れた安定を 作り出す ことを、夫婦の理として、か んろだいを象徴にし て教えら れているのです。

 現実の、互いたすけ合いをするため の心の作 り方を、教えられているのですか ら、女同士でも、男同 士でも、陰 陽が互い にたすけ合えるようなパートナー を見付けなければ、本 当の安定 はないということです。

 ここでは、陰陽がお互いに補い合うこ とが大事 な出発点であると教え られています。

三ッ みればせかいがだんだんと
    もっこにのうてひのきしん


 教えを聞き分けてくると、理論を理解す るだけで はなく、実際に陽気づくめ の世界建設に行 動するよ うになるということをおっ しゃったのです。

 「もっこ担う」とは、実際行 動・実行 動を喩えている言葉なのです。

 理解しただけではなくて、実際 の行動に 移すことが大切である ということです。

四ッ よくをわすれてひのきしん
    これがだいいちこえとなる


 「よく」というのは、かんろだい つとめで 調和を保っている姿 を乱すような行ない、こ れをよく と言っています。

 その中の一つの働きを「出さ ない」と かその「他の働きを自分が取 り込む」 という行ないです。
自分中心の偏った考えがよくないのです。

 真理に基づかない 行ないが 「よく」です。

 自分の面子とか自分や子孫 の繁栄と いうことにこだわらずに、真 理に基づく賑や かさや、 働くという生き甲斐に目覚 めれば、陽気づ くめ世界 建設のために大切な 効果にな るということです。

五ッ いついつまでもつちもちや
    まだあるならばわしもゆこ


 「いついつまでもつちもちや」と いうのは 、互いたすけ合いは何 時々々までも 続く実働 だということです。

 宇宙の真理に則り、人間の本性にも則している。
だから勇んで通れるのだ。
ですから、いつまでも続くと言っているのです。

 「まだあるならばわしもゆこ」と いうのは 、人の姿を見て、あれは良 いことだと思った ら私もや ろうという姿です。

六ッ むりにとめるやないほどに
    こころあるならたれなりと


 しっかり思案をして、真実に則っているな ら、本当 だと思ったら、誰でも行な って良い という意味です。

七ッ なにかめづらしつちもちや
    これがきしんとなるならば


 実際に手伝いをし、互いたす け合いの 仲間入りをしているうちに、真 理を理解でき、心から 納得でき る生き方ができるように なるということです。

 そしてそれが本当の普請に 役立つ働 きになるということです。

 最初は形だけでも理を理解 すれば心 が伴ってくるということです。

八ッ やしきのつちをほりとりて
    ところかえるばかりやで


 つとめ場所の普請のときに、他から 土を持っ て来たわけではない、と いうこと を示しています。
つまり、屋敷の中で高い所の土を低い 所へ移し て、平らにしたという ことを示 しているのです。

 つとめ場所の普請の直後に、こ の歌が作 られたことから考え ても、そ のように思います。

 陽気づくめの世界を作るために、ろ く地に踏 み均らすというのは、高山削って 谷底埋めて、世界 ろく地に 踏み均らすというやり方で良 いと言っ ているのです。
これですと、特別に物は必要ないのです。

 特別なご利益をもらわなくても 陽気づく めの世は実現できる。
すでに与えられている守護だけで 陽気づく めに暮らすことができる ことを教 えている「うた」です。

九ッ このたびまではいちれつに
    むねがわからんざんねんな


 原則通りに使うだけでよい という簡 単なことが、今までは分 からなか ったということです。

 たすけ合えば勇める、争った らいづん でしまう、こんな簡単なこと が分からないから、こ んな簡単 な神の胸の内が分からないから 残念だった。
だから、人間も勇めなかっ たのだ、 と言うことです。

十ド ことしはこえおかず
    じゅうぶんものをつくりとり
    やれたのもしやありがたや


 「ことし」というのは、こ の収穫期 からは、ということです。
今までの収穫期とこれから の収穫期 を分けているのです。

 「こえおかず」というのは、米の 収穫量を 増やそうとすれば肥やしをおか なければなりません。
今年が豊作ならば次の年には余計に肥 やしを多 くしなければならないのです。

 お米は肥料の量で収穫量が決まっ てしまい ますから、どんな太陽と水がうまく いっても肥やし に合った 実りしかないのです。

 教祖の話しを聞いていた人たち の多くは 農民ですから、そんなことは 良く分かっていました。

 「肥えをおかず」ということは、現 実の米の 話ではないということを示しています。

 ろく地に踏み均らす陽気づくめ 世界を建 設するとは、何もなくても できるから、特 別なご利 益などは貰わなくても良いのだ という意味です。
実際の米の収穫量ではないという意味があるのです。

 互いたすけ合いで陽気づく めが実現 されるのだということが 分かれば、「や れたのも しやありがたや」というわけです。

 理解したものは勇んで通れる、真実 が分から ない者は御利益を貰っても 勇んで通ること はできな い、ということを教えている歌です。


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