守護について

 そういうところから、ここで守護ということについて触れさせて頂きたいと思うのですが、これを常識とお道の教理というようにはっきりと分けてみますと、世間の常識では、守護と言うと、守護神とか守護仏とか守護職とか、こういう言葉を思い浮かべるのです。
ほかには今辞書を調べてもあまり出ていないのです。
守護神とは一体何だろうかと言うと、春日大社は藤原氏の守護神だと言うのです。
藤原氏が先祖の神様として祀ると、その藤原氏を春日大社が守ってくれるというような言い方をするのです。
また守護仏というのは、南無大慈大悲の観世音菩薩というふうに唱えれば観音様がその人を守ってくれる、念仏を唱えたら阿弥陀様が助けてくれる、南無妙法蓮華経とお題目を唱えたらお経の功徳が助けてくれるという考え方で、こういうふうにお祀りしたら助けてくれる、唱えたら助けてくれるというように当時の人は考えていたのです。

 それから人間の世界にしますと、昔は武蔵守とか薩摩守とかいうように守という字を使ったのですが、徳川時代の大名は守護職という制度が変って来たものであったのです。
殿様というのは自分の領民を守る役目で、その領民というのは殿様に税金を納める人なのです。
それで殿様に税金を納めるかわりに殿様がその人たちを守ってやる、その役目を何々の守と言ったのです。
ですから自分に税金を納める人は守るけれども、隣の国の領民は攻めるということをやったわけで、守護すると言っても、自分に仕える者は守るけれども仕えない者は傷めつけたのです。
キリスト教などで言っております、神様の心に添ったら天国へ行けるけれども、神様の心に反したら地獄に落ちるのだというのも、やはりそういう考えなのです。

 そういうふうに守護と言ったら、特別に信仰する人、特別に仕える人だけを守ってくれるという常識をその当時の人は持っていたわけで、当時は大抵そういう信仰であったのです。

 ところがおふでさきの中では、
 どろうみのなかよりしゆごふをしへかけ それがたんたんさかんなるぞや   (三 16)
というお言葉のように、私はお道の信者です、修養科・講習にも行きましたという人だけが人間に育ったのではなく、天理教なんか何だと言って反対している者も、ちゃんとたすけ合えば陽気ぐらしができる人間として親神様が立派に育ててある。
そしろうが反対しようが、みな一れつ兄弟一人残らず陽気ぐらしできるように神様が生み出し育てて、これからも陽気づくめの守護をしていくのだと教えて下さったのです。
これがお道の守護なのです。
私たちは、神様の御守護が足りないというようなことをよく言うのですが、神様は全部の人間にみな同じように守護しているのです。

 まずこの世の元初りのときに九九九九九九人(くおくくまんくせんくひやくくじゆうくにん)という膨大な人間を全部一れつ同じように生みおろし、同じ守護を加えて成人させ、世界中一人残らず陽気ぐらしをするように今まで育ててきたということは、
 月日にわにんけんはじめかけたのわ よふきゆさんがみたいゆへから     (十四 25)
というお言葉にも表わされているわけで、これは罰を当てて苦しめたい人間は一人もいないと教えられているのです。そうして、

 このさきハせかへぢううハどこまでも よふきづくめにみなしてかゝる     (十 103)
というように、反対するのも可愛い我が子と一人残らずみんな陽気ぐらしさせてやるというのが、お道で言う守護の話であったのです。

 元初りの話の最後のところに、九億九万年は水中の住い、六千年は知恵の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込みとありますが、これはこれまでの年限で天保九年までに陽気ぐらしできるところまで知恵もでき、身体もでき、社会の姿もできているのだということを言われているわけです。
その頃の着るものと言ったら、能率の悪い大和の手織木綿です。
また朝から晩まで泥と取り組まなければ年貢が納まらないという非常に能率の悪い農業をしていたのです。
それにもかかわらず教祖は、もうたすけ合ったら物も十分に恵まれているし、陽気ぐらしをするだけの知恵もついている、あとはたすけ合う誠の心だけが足りないのだと、そのだめの一点を 天保九年から教えて下さって、そうして私が証拠ですよ、この通り物がなくても、人に喜んでもらおうという誠さえ持っていたらこんなに生き甲斐を持って暮らせるのですよと、その日からひながたを通って下さったのです。
もうみんなでたすけ合ったら陽気ぐらしができるようになっているのですよと教えて下さったのが、教祖の私たちに対するお言葉であり、おふでさきであり、ひながたであったのです。