〇六下り目


扇の伺を主題にして、おつとめの 理ですべ てを思案することを教えてくださっています。

おつとめの理で、一度 しかない 人生、一つしかない心、一つしかない 身体をど のように使うべきかを教えて くださっています。

一ッ ひとのこころとゆうものは
    うたがいぶかいものなるぞ


 「人の心というものは疑い 深いもの なるぞ」という時の手振りは、左下 から右上に手を投げ上 げるので すが、そのときに顔の前で 止めると いうことが特徴です。

 自分の目の前にある「かんろだい」 をも、手 で隠してしまう。
新たな真理を見ようともせず、つ とめの理 を考えようともしない態度では、物 事は分か らないという意味の身振りです。

 自分の周囲に、なるほどと、喜び の原因に なるものがあることを 見極める 目を養いなさいということです。

二ッ ふしぎなたすけをするからに
    いかなることもみさだめる


 芯からの、根こそぎのたすけをす るために は、どのようなことも見定め ていなければならないということです。

三ッ みなせかいのむねのうち
    かがみのごとくにうつるなり


 教祖は皆の心の本性を知っている ので、た とえ人々が喧嘩をしていて も上辺だけのことで、み なの本性 はたすけ合いの心を持っていると見 定めているのです。

 ですから、おたすけをするにあた っては、 ほこりを払って互い たすけ合いの本性に戻 りなさい と教えるのです。

このことを「道教せ」といわれているのです。

 教祖は、人の心のたすけ合い の本性が 鏡の如くに映るなりと おっしゃっていますし、おたすけ人 は勿論、 信者も知っていなければならないという ことをこ こでおっしゃっています。

四ッ ようこそつとめについてきた
    これがたすけのもとだてや


 「つとめについてきた」という のは、つ とめを学び、身に付けて、教 祖の教えを理解しよ うとつい て来たということです。

 身体がついてくるのではなくて、心 が、自分 の暮らしの方向が、教祖の 方針に馴 染んできたということです。

 そして「これがたすけのもとだ てや」と いうときの「もとだて」は、田 植えのと きに稲の根元の土をぎゅっと押 さえるこ とを「もとだて」というのです。
草や木の苗を植えるときに、根 元の土を しっかりと押さえるこ とをもと だてと言うのです。
つとめに根差すことが、たすけの もとだて ということです。

五ッ いつもかぐらやておどりや
    すえではめづらしたすけする


 いつも神楽や手踊りで学び、おつと めの理合 いが心に治まって、生活基 盤が固ま れば、末ではめづらした すけするのです。
末というのは先の方です。

 上の方を立派にしようと 思ってい ても駄目、もとだてをしっ かりとし なければならない のだとい うことです。

 もとだてはお勤めですよ、おつとめの理 に基づい て陽気づくめの境地を作り上げ なさいということです。

六ッ むしょうやたらにねがいでる
    うけとるすじもせんすじや


 おつとめの理合いで教えた 真理に則 っていないということをいくら 願っても 叶わないということです。

七ッ なんぼしんじんしたとても
    こころえちがいはならんぞえ

八ッ やっぱりしんじんせにゃならん
    こころえちがいはでなおしや


 出直しというのは、やり直すと言う意味です。
昔の先生方は、死ぬと言うこと と、やり 直すということに出直しという 言葉を両 方に使っていました。
出直しとは、生きたまま心を 入れ替え て方向転換することです。
お手振りの身振りでは 勇んで方 向転換いたします。 ひのきし んの身振りです。

 出直しを輪廻転生の意味 にとって しまいますと、教祖の教えは 何も分か らなくなってしまいます。

 教祖は一人で教えを始めた のですか ら、教祖から見れば 周囲の者は皆心得違いをして いたのです。

心得違いをしたら、出 直し・死 ぬと言う意味なら、死体 の山にな るはずです、と言うことです。

九ッ ここまでしんじんしてからは
    ひとつのこうもみにゃならぬ


 おつとめをして、おつとめの 理を生活 に活かしたら、一つの効 能があっても、良 いではな いかということです。

十ド このたびみえました
    おうぎのうかがいこれふしぎ

 日本の伝統では扇は男性の性器の象徴です。
その扇の根元を握って掌を膨らませ て持ちま すが、この掌の形を御手座(みてくら)と言います。
御手座は女性の性器を表わしています。
御手座で扇を持つこの姿は、 かんろだ いの形、女性性器と男性性器が一つに 結び合っ た形として教えられています。

 ですから、いつもかんろだい つとめの 心を自分の心として通りなさい。
おつとめを心において物事 を判断す れば、千に一つも 間違いがない とおっしゃっています。

これが教祖の教えて 下さった 扇の伺いという意味です。


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